2026.08.31
深澤 維阿
仕事をするうえで大切にしたい言葉
こんにちは!
売れるネット広告社 デジタル広告運用部の深澤です。
仕事をしていると、ふとした拍子に思い出す言葉がいくつか出てきます。
それは大きな決断を支える、という大げさなものではなく、日々の細かい判断のなかで自然と顔を出す言葉です。
今回はそのうちの二つを紹介いたします。
売れるネット広告社 デジタル広告運用部の深澤です。
仕事をしていると、ふとした拍子に思い出す言葉がいくつか出てきます。
それは大きな決断を支える、という大げさなものではなく、日々の細かい判断のなかで自然と顔を出す言葉です。
今回はそのうちの二つを紹介いたします。
① 「めんどくさいと思ったところが道標になる」

※この画像はAIを用いて生成しています
(画像出典は 宮崎駿『出発点 1979〜1996』徳間書店、1996年より
文言は NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」宮崎駿スペシャルより)
某監督の言葉に、こういうものがあります。
面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんですよ。世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ
(NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」宮崎駿スペシャル より)
初めて聞いたときは、「大事なことには手間がかかるものだ」という程度に受け取っていました。
けれども最近は、この言葉を逆側から読むようになりました。
「めんどくさい」と感じた瞬間こそ、その先に大事なものが埋まっているサインなのではないか、と。
私は広告やクリエイティブ制作に関わる仕事をしています。
新しい施策を考えるとき、いちばん気が進まないのは、過去に自分たちが運用した結果を一件ずつ見返す作業です。当時の狙いと実際の反応を突き合わせ、うまくいかなかったものほど正面から見なければならない。正直なところ、白紙から新しいアイデアを考えているほうがずっと楽しいのです。
あるとき、腹をくくって約1年分をまとめて振り返ってみました。すると、数値の良かった運用手法には、内容の新しさとはまったく別のところに共通点があると気づきました。世に出す前に一度、同部署だけでなく他部署のメンバーに見てもらっていたのです。
逆に伸び悩んだものは、いずれも自分だけで完結させていました。1年分を並べて初めて見えた傾向でした。
めんどくさいと感じる作業は、たいてい他の人にとってもめんどくさい。だから手つかずのまま残っており、そこにはまだ誰も拾っていない発見が眠っています。
しかも、めんどくさく感じるのは、その作業を雑に済ませてはいけないと自分でも分かっているからです。
「めんどくさい」は怠けの合図ではなく、重心のありかを教えてくれる道標なのだと思うようになりました。
もっとも、めんどくささをすべて引き受けよう、という話ではありません。手順が悪いだけのめんどくささは、仕組みを整えて減らすべきものです。
減らしてよいものと、減らしてはいけないものを見分ける。その線引きを考えるきっかけにもなっています。
(画像出典は 宮崎駿『出発点 1979〜1996』徳間書店、1996年より
文言は NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」宮崎駿スペシャルより)
某監督の言葉に、こういうものがあります。
面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんですよ。世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ
(NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」宮崎駿スペシャル より)
初めて聞いたときは、「大事なことには手間がかかるものだ」という程度に受け取っていました。
けれども最近は、この言葉を逆側から読むようになりました。
「めんどくさい」と感じた瞬間こそ、その先に大事なものが埋まっているサインなのではないか、と。
私は広告やクリエイティブ制作に関わる仕事をしています。
新しい施策を考えるとき、いちばん気が進まないのは、過去に自分たちが運用した結果を一件ずつ見返す作業です。当時の狙いと実際の反応を突き合わせ、うまくいかなかったものほど正面から見なければならない。正直なところ、白紙から新しいアイデアを考えているほうがずっと楽しいのです。
あるとき、腹をくくって約1年分をまとめて振り返ってみました。すると、数値の良かった運用手法には、内容の新しさとはまったく別のところに共通点があると気づきました。世に出す前に一度、同部署だけでなく他部署のメンバーに見てもらっていたのです。
逆に伸び悩んだものは、いずれも自分だけで完結させていました。1年分を並べて初めて見えた傾向でした。
めんどくさいと感じる作業は、たいてい他の人にとってもめんどくさい。だから手つかずのまま残っており、そこにはまだ誰も拾っていない発見が眠っています。
しかも、めんどくさく感じるのは、その作業を雑に済ませてはいけないと自分でも分かっているからです。
「めんどくさい」は怠けの合図ではなく、重心のありかを教えてくれる道標なのだと思うようになりました。
もっとも、めんどくささをすべて引き受けよう、という話ではありません。手順が悪いだけのめんどくささは、仕組みを整えて減らすべきものです。
減らしてよいものと、減らしてはいけないものを見分ける。その線引きを考えるきっかけにもなっています。
② 「日々是好日」
もう一つは「日々是好日(ひびこれこうじつ)」です。
一般には「毎日を大切に過ごす」「小さな積み重ねを大事にする」といった意味で使われますが、禅語としての解釈は少し異なっています。
出典は『碧巌録』第六則。中国・唐末の禅僧、雲門文偃(うんもんぶんえん)の言葉とされています。
本則(すなわち公案=師匠が弟子に出す、悟りを促すための問題)の原文はこうなっています。
十五日已前不問汝
十五日已後道將一句來
日日是好日
書き下すと、次のようになります。
雲門、垂語して云く。
「十五日已前は、汝に問わず。十五日已後、一句を道い将ち来れ。」
自ら代って云く。「日日是れ好日。」
現代語訳は、おおよそこうです。
雲門は弟子たちに問いました。
「十五日より前のことについては、もう問いません。では、十五日より後のことを、一言で言ってみなさい。」
そして、誰も答えられなかったので、自分でこう答えました。「毎日こそが、よい日である。」
一見すると、これは答えになっていません。十五日より後のことを聞いているのに、「毎日が良い日」では、十五日より前も含んでしまうからです。
しかし、この噛み合わなさを丹念に読み解くことにこそ、禅問答の妙があります。
鑑みてみるに、これはなかなか意地悪な問いです。雲門は「十五日より前は問わない」と退路を塞いだうえで、「明日は十六日です」といった答え方も封じ、そのうえ、日月は流れ去るものだと釘を刺します。
絶えず移り変わるものに日付を与え、前後に分けること自体が無意味ではないでしょうか。こうした矛盾にぶつかって弟子たちは答えに窮したのでしょう。
そのうえで雲門が示した「好日」は、決して「良い日」という意味ではありません。
むしろ、そうした「区切り」に対するアンチテーゼです。
「悪い日」と対になる「良い日」は相対的ですが、この公案でいう「好日」は絶対的な言葉です。「好日」と言い切ることで、良い・悪いという価値判断そのものを無効にしてしまう。その意味において絶対的なのです。
良い日か悪い日かというのは、多くの場合、こちらの都合や感情がこしらえた区別にすぎません。雲門は、その分別のフィルターを外せと言っている。ただ目の前に「今日」があり、それを虚心坦懐に生きればよい、という教えです。
「今日を前向きに生きよう」という読み方も応用としてはあり得ますが、公案の肝所そのものではないのでしょう。
一般には「毎日を大切に過ごす」「小さな積み重ねを大事にする」といった意味で使われますが、禅語としての解釈は少し異なっています。
出典は『碧巌録』第六則。中国・唐末の禅僧、雲門文偃(うんもんぶんえん)の言葉とされています。
本則(すなわち公案=師匠が弟子に出す、悟りを促すための問題)の原文はこうなっています。
十五日已前不問汝
十五日已後道將一句來
日日是好日
書き下すと、次のようになります。
雲門、垂語して云く。
「十五日已前は、汝に問わず。十五日已後、一句を道い将ち来れ。」
自ら代って云く。「日日是れ好日。」
現代語訳は、おおよそこうです。
雲門は弟子たちに問いました。
「十五日より前のことについては、もう問いません。では、十五日より後のことを、一言で言ってみなさい。」
そして、誰も答えられなかったので、自分でこう答えました。「毎日こそが、よい日である。」
一見すると、これは答えになっていません。十五日より後のことを聞いているのに、「毎日が良い日」では、十五日より前も含んでしまうからです。
しかし、この噛み合わなさを丹念に読み解くことにこそ、禅問答の妙があります。
鑑みてみるに、これはなかなか意地悪な問いです。雲門は「十五日より前は問わない」と退路を塞いだうえで、「明日は十六日です」といった答え方も封じ、そのうえ、日月は流れ去るものだと釘を刺します。
絶えず移り変わるものに日付を与え、前後に分けること自体が無意味ではないでしょうか。こうした矛盾にぶつかって弟子たちは答えに窮したのでしょう。
そのうえで雲門が示した「好日」は、決して「良い日」という意味ではありません。
むしろ、そうした「区切り」に対するアンチテーゼです。
「悪い日」と対になる「良い日」は相対的ですが、この公案でいう「好日」は絶対的な言葉です。「好日」と言い切ることで、良い・悪いという価値判断そのものを無効にしてしまう。その意味において絶対的なのです。
良い日か悪い日かというのは、多くの場合、こちらの都合や感情がこしらえた区別にすぎません。雲門は、その分別のフィルターを外せと言っている。ただ目の前に「今日」があり、それを虚心坦懐に生きればよい、という教えです。
「今日を前向きに生きよう」という読み方も応用としてはあり得ますが、公案の肝所そのものではないのでしょう。
おわりに
めんどくさいと思ったら、その先に何かあるかもしれないと疑ってみる。
今日は良くない日だったと思ったら、その判断のほうを疑ってみる。そんなふうに日々と向き合いたいと思う「今日」この頃です。
今日は良くない日だったと思ったら、その判断のほうを疑ってみる。そんなふうに日々と向き合いたいと思う「今日」この頃です。
最後までご覧いただきありがとうございました!
デジタル広告運用部 アドオペレーター 深澤 維阿
デジタル広告運用部 アドオペレーター 深澤 維阿
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