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2026.04.06
深澤 維阿
広告の起源を”哲学”する|広告の定義と歴史をゼロから考える
<はじめに>
皆さま、こんにちは!
デジタル広告運用部の深澤です!
突然ですが、広告とは何であると皆さまお考えでしょうか。
私たちは日常的に広告に触れていますが、その定義や起源について深く考える機会は多くありません。
本記事では、広告の定義を整理しつつ、広告がどのような歴史的背景のもとで生まれ、発展してきたのかを「哲学的」に考察します。
広告は単なる宣伝手法にとどまるものではなく、人間社会における「イミ」の伝達装置として機能してきたのではないでしょうか。
本稿では、その起源から現代に至るまでの過程をたどっていきます。
デジタル広告運用部の深澤です!
突然ですが、広告とは何であると皆さまお考えでしょうか。
私たちは日常的に広告に触れていますが、その定義や起源について深く考える機会は多くありません。
本記事では、広告の定義を整理しつつ、広告がどのような歴史的背景のもとで生まれ、発展してきたのかを「哲学的」に考察します。
広告は単なる宣伝手法にとどまるものではなく、人間社会における「イミ」の伝達装置として機能してきたのではないでしょうか。
本稿では、その起源から現代に至るまでの過程をたどっていきます。
<定義>
たとえば、日本アドバタイザーズ協会は広告をこのように定義しております。
アドバタイザーは企画・制作・表示などの役割を担う事業者と協力しながら、必要な費用を投じて、有形無形の要素から成るメッセージを作り上げるとともに、生活者に向けてメディア上で発信し、その意識や行動に働きかける。(内容)
そして、広告活動はアドバタイザーの経営戦略・事業戦略の一環として、自らの価値提案をすることで生活者に便益をもたらすために行われる。(目的)
すなわち広告とは、以上のような内容と目的を特徴とする、情報の送り手と受け手の双方にとって有益なコミュニケーション活動およびその成果物のことである。
(出典:JAA, 「アドバタイザーによる「広告の定義」策定―社会の変化とともに変容する広告の本質を見つめ直し、アドバタイザー自らがその姿を言語化 ―」, https://www.jaa.or.jp/guideline/definition/ ,閲覧日2026/03/06)
また、AMA(アメリカ・マーケティング協会)は広告を以下のように定義しています。
広告とは、営利企業や非営利企業、政府機関または個人が、特定のターゲット市場や聴衆に対して、製品、サービス、 団体またはアイディアについて、伝達または説得をするために、大量伝達が可能な媒体のタイムまたはスペースを購入して、告知や説得的メッセージを掲出することです。(“Advertising is the placement of announcements and messages in time or space … to inform and/or persuade … regarding their products, services, organizations or ideas.”)
(訳は筆者による. 出典:AMERICAN MARKETING ASSOCIATION, "Advertising", https://www.ama.org/topics/advertising/ ,閲覧日2026/02/12)
この定義に則るならば、世界最古の広告は、古代メソポタミアでパピルスに書かれた人探しのビラであると言えるでしょう。それは、「この人を探してほしい」という説得的なメッセージを備えています。
一方で、スペインのアルタミラ石窟やフランスのラスコーに描かれた壁画は、広告とは呼べないでしょう。それらはデザインを有していますが、そこから明確な意図を読み取ることはできません。
では、「明確な意図が読み取れること」が広告の本質なのでしょうか。私はそうは思いません。後述しますが、それは広告の歴史的考察に由来するものだからです。むしろ、上記のことから分かるのは、「送り手」と「受け手」が存在するだけでは広告とは言えない、という消極的な定義のみです。
ところで、上記のAMAの定義に関わった中心的人物として、Ralph S. Alexander がいます。
彼は別の箇所で、広告について次のように述べています。
Any paid form of non-personal presentation of goods, services, or ideas to a group—such presentation being openly sponsored by the advertiser. It involves the use of such media as the following: Magazines and newspaper space, radio, motion pictures, outdoor media (posters, skywriting, signs, etc.), cards (car, bus, etc.), catalogues, direct mail, directories and references, store signs, programs and menus, novelties (calendars, blotters, etc.), circulars.
商品、サービス、またはアイデアを集団に向けて提示するあらゆる金銭を伴う形式です。その提示は広告主によって公に支援されます。 これには以下の媒体の使用が含まれます。すなわち、雑誌・新聞広告枠、ラジオ、映画、屋外媒体(ポスター、スカイライティング、看板等)、カード(車両広告等)、カタログ、ダイレクトメール、ディレクトリ・参考書、店舗看板、プログラム・メニュー、ノベルティ(カレンダー、吸い取り紙等)、チラシです。
(訳は筆者. 出典:JSTOR, "Definitions of Marketing Terms . . . Consolidated Report of the Committee on Definitions", p.149, https://www.jstor.org/stable/4291294?read-now=1&seq=2#page_scan_tab_contents ,閲覧日2026/02/12)
一見すると定義のように書かれていますが、これは歴史的に「広告」と呼ばれてきたものを列挙し、無難に、いわば最小公倍数的に説明しているにすぎません。換言すれば、これは広告の”歴史的”な定義です。 同様の考察は、弊社の私の一つ上の先輩も記しています。関心のある方は、以下のリンクからご覧ください。
https://www.ureru.co.jp/ureru_blog/archives/6616
(出典:売れるネット広告社 ブログ「江戸時代の広告から考える売るためのコツ」, 閲覧日2026/03/23 )
アドバタイザーは企画・制作・表示などの役割を担う事業者と協力しながら、必要な費用を投じて、有形無形の要素から成るメッセージを作り上げるとともに、生活者に向けてメディア上で発信し、その意識や行動に働きかける。(内容)
そして、広告活動はアドバタイザーの経営戦略・事業戦略の一環として、自らの価値提案をすることで生活者に便益をもたらすために行われる。(目的)
すなわち広告とは、以上のような内容と目的を特徴とする、情報の送り手と受け手の双方にとって有益なコミュニケーション活動およびその成果物のことである。
(出典:JAA, 「アドバタイザーによる「広告の定義」策定―社会の変化とともに変容する広告の本質を見つめ直し、アドバタイザー自らがその姿を言語化 ―」, https://www.jaa.or.jp/guideline/definition/ ,閲覧日2026/03/06)
また、AMA(アメリカ・マーケティング協会)は広告を以下のように定義しています。
広告とは、営利企業や非営利企業、政府機関または個人が、特定のターゲット市場や聴衆に対して、製品、サービス、 団体またはアイディアについて、伝達または説得をするために、大量伝達が可能な媒体のタイムまたはスペースを購入して、告知や説得的メッセージを掲出することです。(“Advertising is the placement of announcements and messages in time or space … to inform and/or persuade … regarding their products, services, organizations or ideas.”)
(訳は筆者による. 出典:AMERICAN MARKETING ASSOCIATION, "Advertising", https://www.ama.org/topics/advertising/ ,閲覧日2026/02/12)
この定義に則るならば、世界最古の広告は、古代メソポタミアでパピルスに書かれた人探しのビラであると言えるでしょう。それは、「この人を探してほしい」という説得的なメッセージを備えています。
一方で、スペインのアルタミラ石窟やフランスのラスコーに描かれた壁画は、広告とは呼べないでしょう。それらはデザインを有していますが、そこから明確な意図を読み取ることはできません。
では、「明確な意図が読み取れること」が広告の本質なのでしょうか。私はそうは思いません。後述しますが、それは広告の歴史的考察に由来するものだからです。むしろ、上記のことから分かるのは、「送り手」と「受け手」が存在するだけでは広告とは言えない、という消極的な定義のみです。
ところで、上記のAMAの定義に関わった中心的人物として、Ralph S. Alexander がいます。
彼は別の箇所で、広告について次のように述べています。
Any paid form of non-personal presentation of goods, services, or ideas to a group—such presentation being openly sponsored by the advertiser. It involves the use of such media as the following: Magazines and newspaper space, radio, motion pictures, outdoor media (posters, skywriting, signs, etc.), cards (car, bus, etc.), catalogues, direct mail, directories and references, store signs, programs and menus, novelties (calendars, blotters, etc.), circulars.
商品、サービス、またはアイデアを集団に向けて提示するあらゆる金銭を伴う形式です。その提示は広告主によって公に支援されます。 これには以下の媒体の使用が含まれます。すなわち、雑誌・新聞広告枠、ラジオ、映画、屋外媒体(ポスター、スカイライティング、看板等)、カード(車両広告等)、カタログ、ダイレクトメール、ディレクトリ・参考書、店舗看板、プログラム・メニュー、ノベルティ(カレンダー、吸い取り紙等)、チラシです。
(訳は筆者. 出典:JSTOR, "Definitions of Marketing Terms . . . Consolidated Report of the Committee on Definitions", p.149, https://www.jstor.org/stable/4291294?read-now=1&seq=2#page_scan_tab_contents ,閲覧日2026/02/12)
一見すると定義のように書かれていますが、これは歴史的に「広告」と呼ばれてきたものを列挙し、無難に、いわば最小公倍数的に説明しているにすぎません。換言すれば、これは広告の”歴史的”な定義です。 同様の考察は、弊社の私の一つ上の先輩も記しています。関心のある方は、以下のリンクからご覧ください。
https://www.ureru.co.jp/ureru_blog/archives/6616
(出典:売れるネット広告社 ブログ「江戸時代の広告から考える売るためのコツ」, 閲覧日2026/03/23 )
<問題の所在>
私は、このような歴史的な考察を行いたいとは思っていません。
むしろ、これから私が考究したいのは、いわば広告の形式的・系譜学的考察です。それは、歴史的で凡庸な考え方とは異なります。
そもそも、歴史的であるということ自体が、遠近法的倒錯(所謂ヒステロン・プロテロン)を孕んでいます。ニーチェは、事後的なもの(結果)を事前のもの(原因)に持ち越してしまう思考を「遠近法的倒錯」と呼び、これを批判しました。この倒錯は、起源の考察において最も色濃く現れる徴候です。
たとえば、私たちは国家や民主主義の起源を考える際に、ポリスや古代エジプト、アテネを想起します。しかし、これは現在の民主主義の特徴を無意識のうちに前提とし、それを過去の事象に当てはめているにすぎません。ニーチェは、このような思考の癖を批判したのです。
しかし、そのニーチェ自身もまた、遠近法的倒錯を犯しています。たとえば彼は、道徳の起源を債務と返済の関係に見出しました。
つまり、道徳的な罪や引け目とは、「借りたにもかかわらず、まだ返せていない状態」であると考えたのです。
言うまでもなく、これは近世以降の貨幣経済、すなわち負債という概念を、過去へと拡張したものにほかなりません。
貨幣が成立して以降、人々に刻み込まれた心情を、事前へと持ち越してしまっているのです。 先に挙げたAMAの定義も、この例外ではありません。
そこで用いられている諸概念は、資本社会が急激に発展した後に生まれたものです。これらを広告の定義として認めるには、あまりにも性急です。ましてや、それを過去に投射し、虚偽の「起源(オリジン)」を見出すことをや。
むしろ、これから私が考究したいのは、いわば広告の形式的・系譜学的考察です。それは、歴史的で凡庸な考え方とは異なります。
そもそも、歴史的であるということ自体が、遠近法的倒錯(所謂ヒステロン・プロテロン)を孕んでいます。ニーチェは、事後的なもの(結果)を事前のもの(原因)に持ち越してしまう思考を「遠近法的倒錯」と呼び、これを批判しました。この倒錯は、起源の考察において最も色濃く現れる徴候です。
たとえば、私たちは国家や民主主義の起源を考える際に、ポリスや古代エジプト、アテネを想起します。しかし、これは現在の民主主義の特徴を無意識のうちに前提とし、それを過去の事象に当てはめているにすぎません。ニーチェは、このような思考の癖を批判したのです。
しかし、そのニーチェ自身もまた、遠近法的倒錯を犯しています。たとえば彼は、道徳の起源を債務と返済の関係に見出しました。
つまり、道徳的な罪や引け目とは、「借りたにもかかわらず、まだ返せていない状態」であると考えたのです。
言うまでもなく、これは近世以降の貨幣経済、すなわち負債という概念を、過去へと拡張したものにほかなりません。
貨幣が成立して以降、人々に刻み込まれた心情を、事前へと持ち越してしまっているのです。 先に挙げたAMAの定義も、この例外ではありません。
そこで用いられている諸概念は、資本社会が急激に発展した後に生まれたものです。これらを広告の定義として認めるには、あまりにも性急です。ましてや、それを過去に投射し、虚偽の「起源(オリジン)」を見出すことをや。
<方法論>
私は、歴史の流れとはまったく関係のないものとして、広告の定義を見出そうと考えています。
歴史的ではないとは、どの時代にも当てはまる広告の特徴、さらに言えば、広告を広告たらしめている条件を探ることです。
その結果、私たちが日常的に用いている広告という語の意味から乖離する可能性もありますし、概念の拡張を迫られることもあるでしょう。
そして、歴史的思考から脱却するためには、徹底した形式化が不可欠です。
ここで私が参照したいのが、カール・マルクスが『資本論』で行った価値形態論です。
貨幣の由来を歴史ではなく構造(=形式)から捉えたこの理論は、広告を再定義するうえでも重要な手がかりになると考えられます。
もし広告にも同様の「価値形態」が存在するとすれば、それは何によって成立しているのでしょうか。
次回は、この問いを手がかりに、広告を成り立たせている“見えない構造”を明らかにしていきます。
歴史的ではないとは、どの時代にも当てはまる広告の特徴、さらに言えば、広告を広告たらしめている条件を探ることです。
その結果、私たちが日常的に用いている広告という語の意味から乖離する可能性もありますし、概念の拡張を迫られることもあるでしょう。
そして、歴史的思考から脱却するためには、徹底した形式化が不可欠です。
ここで私が参照したいのが、カール・マルクスが『資本論』で行った価値形態論です。
貨幣の由来を歴史ではなく構造(=形式)から捉えたこの理論は、広告を再定義するうえでも重要な手がかりになると考えられます。
もし広告にも同様の「価値形態」が存在するとすれば、それは何によって成立しているのでしょうか。
次回は、この問いを手がかりに、広告を成り立たせている“見えない構造”を明らかにしていきます。
売れるネット広告社株式会社
デジタル広告運用部 深澤 維阿
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